2017年4月22日土曜日

歯車になるということ


仙台では桜が散り始め
たんぽぽは見頃を迎えています。

仙台も、春めいてきましたが
まだまだ春コートは手放せそうにありません。

仙台にきてから、2度目の春。
社会人になって1年が経ちました。



さて、タイトルの「歯車になるということ」

社会の歯車とか会社の歯車って
なんだかあまり良いイメージがありませんが
働いてみて、1年。


歯車になることの大切さ
歯車として機能することの難しさを実感しました。






わたし、集団行動がとても苦手で
ずっと避けて生きてきてて
キャラって言葉に逃げて自由にやってきてたところがあります。


そんな「キャラ」が出来るまでは
輪の中に入れずにいたようなかんじで。


学生生活はそれでよかったけれども
就職して、組織で働くことになったら
そういうわけにもいかない。


なので就職してから、かなり多くの壁にぶつかりました。今もまだぶつかり続けてますが、乗り越えるためにどんな方向で努力すればよいのか少しずつわかってきたので、苦しいときは抜けました。笑


フリーランスでもやっていけるくらいになりたいって思ってて、組織に属するよりもその方が合っているんじゃないかって学生の頃に思ってました。


でも、ちゃんと組織に属するってどういうことか考えたことがなかったみたいです。
そんなんだから就活もなかなか決まらなかったんだろうなって思います。笑


この1年で
組織の一員になるために、1つの歯車として、しっかりと機能するために、
自分の様々な短所とたくさん向き合いました。

これは組織に属さなかったら気づかなかっただろうなー。
その短所がどれだけ致命的な短所だったのかを気づかされた1年でした。



よくよく考えてみると
歯車として噛み合って、
歯車として機能して、
やっと仕事になると思うんです。


フリーランスでも、起業してたとしても、何かしら、誰かしらの役に立ってるから仕事として成り立ってて

ということは仕事というのは誰かしらの歯車をまわすお手伝いをしてるわけで

1つの歯車だとおもうのです。


主婦であれ、なんであれ、
きっとそうなんだろーなーと。



どんな歯車になるか。
どう噛み合っていくか。どう機能していくか。
そういうことが大切なのかなと思います。


替えがきかない歯車もあるかもしれないし
たとえ替えがきくとしても
自分が歯車としてしっかりと機能して
助かる人がいたらやりがいがあるかなって思う。


仕事でも、プライベートでも。

存在価値とかそういうところになるのだろうなー。



少し話の軸がぶれましたが



組織の中の歯車として機能することだけが全てではないけれども、その中で歯車として機能するために努力するってことは大切だなーと実感した1年でした。


ただそこが全てではないから
健康を保てるレベルで
メンテナンスすれば元気を取り戻せるレベルで適応する努力をすればよいのかなと思います。


色々な生き方があるから
噛み合うところを探すのもよし。

ただ噛み合う努力をするのは大切だなと思います。

2015年12月25日金曜日



進路が決まりました。

10年間暮らした徳島を離れて
宮城に戻ります。


病院の管理栄養士として働きます。



***************



就職活動、なんやかんやで1年くらいしていました。
色々な可能性を考えて、管理栄養士以外の道も考えたり
企業、行政、病院、色々みてみました。


自分と向き合ったり
親とぶつかったり
悩んで、たくさん泣いたり。。


振り返ってみると内定くれたところの最終面接では
いつも泣いていました。笑


大切にしたい気持ちを話すときに
どうしても涙が出てきて。。


それでも内定くださったので
本当に良いところに巡り合えたと思っています。




最終的に、自分が情熱と使命感をもって
親にも応援してもらいながら
働ける道にたどり着くことができました。


冒険するのは、力がついてからにします。
まずは管理栄養士として胸を張れるように。



任期付きなので、3年後くらいに
もう一度 進路を考える時期が来ます。


今はまだ分かりません。
この3年で成長して、また見える景色が変わると思うし
きっと時代も社会のニーズも変化する。

そのときに自分の持っているもので
どう社会に貢献できるのかなんて、まだ分かりません。


だけど、自分がこういう形で社会に貢献したいと思った時に
しっかり動ける力を身につけたいと思います。



そのために、必死でしがみつきながら頑張ります。
まだまだ力がないので
きっと仕事になれるまで苦しいこともあると思う。

自分の力のなさに落ち込むこともあると思う。

だけど、未完成な分 成長できるし
初めは誰でも一緒だし
一歩一歩着実に成長していこうと思います。


負けないぞー



***************


進路が決まり、徳島を離れ宮城にいくことを
お世話になった方々に報告しながら

報告したい人がたくさんいて
本当にたくさんの方にお世話になって
ここまで生きてきたんだなぁと実感しています。


徳島で過ごした10年間は
人間として大きく成長させてくれました。


色々な方にお世話になって
色々な方に育ててもらって


大好きな人がたくさんいて


離れてしまうのはとてもとても寂しくて
本当は徳島を離れる友人を
徳島で待つ方でいたいって思ってたけど


わたしも1度きりの人生を
胸張って過ごせるように頑張ってきます。


今はどこでも飛行機でひとっとびで行けるので大丈夫。

会った時にたくさんお話しできるように
頑張ってきます。



***************



わたしの人生は、いつもGReeeeNと一緒です。


今回、応募書類はキャリタスのCMソング
GReeeeNの「夢」聴きながら書きました。


1日目、緊張してうまく自分を出せなくて
「笑顔」聴きました。

2日目、「ビリーヴ」を聴きながら会場に向かいました。


そして採用が決まった時もビリーヴ聴いて帰りました。
ビリーヴの気持ちがピッタリです。


自分がこれだけひたむきな気持ちになれるって
とても幸せなことだなぁと思います。



「あと一歩あと一歩って 出来ても出来なくても
 挑んでいるのが自分らしく 誇らしく笑えるんだ

「僕が僕を信じられるように嘘はつかない
 嬉しい涙に出会えるように それを信じてんだ
 まだなんにも始まっちゃいない 自分で決めた道
 だから少し楽しんでいこう 始まりの声がする」




***************


最後に、わたしが大切にしたい気持ちについて。


東日本大震災のときに無力感を感じました。
見慣れた町の知らない姿、なにもかも流されてしまった風景。
そこに立っていると、自分が本当にちっぽけに感じたし
何が出来るかなんて全く見えませんでした。

あの時は、とりあえず目の前の勉強を頑張って、
いつか間接的にでもいいから役に立てれば
いいなぁって思っていました。

そんな小さな可能性を信じる事しかできませんでした。


でも、そのあとに災害時は食が限られているから
栄養士による食事の管理が大切だと知りました。

だから、今度災害があった時は栄養士として
役に立てるように力をつけておきたいと思います。


あの時、何にもできない自分が悔しかったし
それに東日本大震災の教訓を1つでも活かすことが
あの時のことを知っているものとしての使命だと思っています。

日本は災害が多い国で、南海トラフだってあるし、
その時に何にもできないなんて悔しいし、そんな自分は嫌だ。
ひとつでも悔しい想いをしなくてすむようにしたい。


学びを深めることで、見える景色が変わったり
遠くまで見えるようになると思う。


勉強と実践を重ねて
とにかく力をつけたいと思います。











毎日が自分をつくっていく

一日、一日の積み重ねが人生になる。

自分が胸を張れるように
「この人生で良かった」って笑えるように

頑張りたいと思います。



2015年6月12日金曜日

楽しく生きる、楽しそうに生きる



「楽しそうに生きること」


わたしの人生で大切にしたいことの一つです。


自分より若い子が、将来が楽しみになるような
生き方をしたいなって思っています。






わたし、昔は大人になりたくなかったんです。

テレビとかみると「大人は大変」「仕事はつらい」
そんな言葉ばかり。


それなら大人になりたくないなーって思ってました(笑)



でも実際そんなことないんだなって気づきました。
勝手にイメージつけられているだけなんだなぁと。。


わたしは1991年生まれです。
バブルが崩壊して、不景気がずっと続いていた時代で
大人たちは「自分たちが若いころは良い時代だった」とか
そういうことしか言わなくて。


そんなこと言われてたら
将来に希望いだけないじゃないですか。



私が人生を楽しめるようになったのは高校生くらいから。
それまでは感情を出すことが苦手で
だからあまり楽しめなくて。

でも高校でやっと好きなモノ(GReeeeN)ができて、
そこで感情を出せるようになって
ニックネームが定着して、自分らしさを出せるようになって。


それで感動できるようになって
幸せを感じられるようになって。


感動したり幸せ感じて
生きてて良かったなーって思うことが増えました。




楽しく生きるコツを知って
何でも受け取り方次第なんだなーと思いました。




物事って色々な面があって
見る角度によって変わる。


楽しい部分だけ見たら楽しい人生だし
辛い部分だけ見たら辛い人生になるし


そんなもんなのかなーと。


仕事は辛いといわれると
辛い部分にだけ注目しちゃいそうだし
今の世の中は不幸だみたいなことを言われると
そんな部分ばっかみちゃうかもしれない。



でも実際いいこともあれば、上手くいかない事もあって
辛いことだってあるけど、それが不幸っていうわけでもない。



人生って面白い。
楽しいこともたくさんある。

そして面白くするのかどうかも自分次第で
不満があれば変えていけばいいと思うのです。



とにかく現状に不満ばっか言ってたら
たくさんの可能性に気づけなくなりそうだし
自分より若い子たちも
その姿見たらなんだか希望なんて抱けないと思うんです。


だから、人生楽しむし
楽しそうに生きたいと思う。


希望をもってほしいし
不満をならべるのではなくて
じゃあどうすれば楽しく生きれるのか考えたり

「この人生で良かった」って想いながら
過ごしてもらいたい。



それに私が徳島でお世話になった方々は
とてもわくわくしながらお話しするんです。

そんな大人をみていて
学生もわくわくしたり、あれもできるんじゃないかな、
これもできるんじゃないかなって思うようになって。

やっぱり大人がわくわくしたり
楽しそうに生きるって大切だなって思う。



ということで
楽しく生きていきたいなー(´ω`)



2015年4月2日木曜日

管理栄養士のキャリアデザイン



管理栄養士としての働き方について
去年の夏くらいから模索していています。


健康っていうのは絶対に人のためになるし
管理栄養士という職業は
もっと色々な働き方ができるのではないかなと考えています。



わたしは今はまだ大学院生です。


「管理栄養士」という夢は中学校の時に抱きました。

最初はオリンピックに行きたくて管理栄養士になろうと思ったけど


高校くらいから医学にも興味を持ち始め、、
生理学や生化学といったあらゆる基礎知識を応用して考える
臨床栄養学が好きで、得意で、
病院での臨床現場の管理栄養士も良いなぁ思いながら


臨床に限らず大学の勉強はどれも楽しくて、
試験前に授業するのが好きで
勉強を教えるのが好きだから先生も良いなぁって思い


大学3年生になるころから復興支援や地域活性といった
イベントの企画運営したり課外活動を活発にするようになり
「企画する」って楽しいなと思い始め


4年生の保健所実習では、
今まで行政の管理栄養士についてイメージがあまりなかったけど
健康目標の達成に向けて色々なプロジェクトを企画して
民間も巻き込みながら動いていることを知って面白そうと思い
さらに災害時にも管理栄養士が役に立てることをしり興味を持ちつつ


昔から学ぶこと・新しい知識や考え方を知る事や分析することが好きで
研究にも興味があり、親も大学院の進学に肯定的だったし
どの道に進むにしてもマイナスにはならないので大学院に進学しました。


大学に来て学年が上がるにつれて
様々な働き方があることを知り、
色んな可能性を視野に入れてみることにしたので
しばらくは将来について具体的に考えることをやめていました。


大学の4年間を過ごして
課外活動で色々な人と話していくなかで
時代が変わるし価値観も変わるし
今存在していない職業が10年後にうまれてたり
職業っていうのは作ることもできるって知りました。


また起業にも興味なかったけど、
色んな方と接して話す中で「職を創ること」が
ひとつの社会貢献ということも知りました。



それで夏くらいから、そろそろ方向性考えようと思ったのですが
自分が将来「どうありたいか」を考えたときに

① 胸を張れる自分
② イチミリ幸せに

っていうのがあり

また東日本大震災で地元の気仙沼が被災して
保健所実習で避難所では管理栄養士が重要ってことを知ってからは
災害時にも役に立てるようになりたいと思っていました。


そういうのをまとめると
一番は「どんな状況でも柔軟に対応できる管理栄養士」です。


時代の変化に対応しながら、災害といった状況でも
柔軟に対応できるような管理栄養士になりたいです。


そのためには、きちんとした「技術」が必要なのですが。。



そんなことを考えながら、冒頭に書いたように「管理栄養士」って
もっと多様な働き方ができるんじゃないかなって思っていました。

そんなときに「訪問管理栄養士」の特集をみて
もっともっと色んな働き方が出来ると思い

色々調べていく中でフリーランスで働いている管理栄養士が増えつつあることをしり


フリーランスになるためには何が必要なんだろう
フリーランスや独立している管理栄養士の人って
どういう経歴たどったんだろうと色々と調べているうちに

ちょうどこの本に巡り合いました。







活躍する管理栄養士 16人のキャリアデザイン

主に同志社女子大学出身の方々のこれまでのキャリアです。

起業した方やフリーで活躍されている管理栄養士
病院、スポーツ、保健指導、教育機関、
ほんと色々な管理栄養士さんの話が載っててとても参考になりました。


栄養士ではない仕事をしてたけど、栄養に戻ってきたり
結婚や出産が大きな転機になったり

社会に出てから大学院に戻って研究したり

色々なキャリアが書かれていました。


10年近く前の本になるので
それから多少は変化しているとは思いますが
それでもちょうど知りたかった話が載ってました。


働き方や姿勢についてもとても参考になりました。





たとえば強みについても
文章を書くことが得意だったり、歌って踊れることや
栄養と関係なくても、なんでも強みになること。


なんでも糧になるし、糧にすることが大切。


栄養士に固執しない。柔軟に、謙虚に。
役割分担・まかせることは大切だけども、
だからといって栄養士なのでしませんっていうのは違う。



検品とか食材の目利きは
絶対に食のプロである調理師さんがむいている。

一方で、栄養士にしか出来ない事もあり
栄養士にしかできないことを全力ですることで栄養士としての価値を発揮する。


そして命に向き合うということ。



とても参考になったので、管理栄養士を目指す皆さん
管理栄養士として働いている皆さん
参考にしてみてください。





*追記*

フリーランスの管理栄養士の育成を行っている
ながいかよさんの本が発売となりました!



管理栄養士で自分らしく働く方法


自分の軸の見つけ方についても書かれており
栄養士さんだけでなく、起業やフリーランスを目指している方の
キャリアデザインとしてとても参考になると思います。
こちらも参考にどうぞ!

2015年3月11日水曜日

4年


東日本大震災があった3.11から4年


あっという間に4年がきたけど
本当に濃くて。

時代や環境の変化と共に
4年という月日の長さを感じます。


わたしは宮城県気仙沼市で生まれ育ち
8年前まで住んでいました。
震災後初めての成人式をむかえた代なので
震災の当時は19歳、大学1年生の春休みでした。


それから4年が経って
今では同級生のほとんどは社会人になりました。



3.11があって
自分たちが復興をさせていくんだ
自分たちの世代がこれからを担っていく
そんなことを意識したり、話したり。。



若いし、これからの人生長いし
今まで自分たちで築きあげてきたものよりも
これから社会に出ていって、築きあげていく方だから
未来を見てた。前を向こうと頑張ってたなー。




わたしが大学1年生の春休みのときに震災があったので
学生時代には学生なりの震災との関わり方をしました。

震災以降、特に感じたのは
学生団体が増えたこと、全国でのプロジェクトをする団体が増えたことでした。

個々で動いてたけど
全国でのネットワークを大切にしようとしたりして
日本がキュッと近づいた気がしました。



それまで自分が学生団体などに携わった事ないから
知らなかっただけかもしれないし
昔は留学やインターンがまれだったけど今は珍しくないのと同じで
そういう時代の流れなのかもしれないけども


それでも震災をきっかけに「繋がり」という言葉をよく使うようになり
その大切さを実感した人が多かったし
「何かしたい」って思う人、「何かしよう」とアクションを起こす人が増えて
学生団体の数は増えたし、ボランティアに参加する人が増えたり
想いを行動に移す人が増えたように思う。



阪神淡路大震災の後にNPOができたように
東日本大震災では学生の動きが活発になったように思う。




たかが学生にできることなんて限られてるし
何年も残していけるような組織にするのは難しくて
消えていく団体も多いけども


それでも意味があると思う。

それだけ一生懸命に生きている人が増えたように思う。



震災があってよかったなんてことは決して言えないけれども
やっぱりあの日の悲しみや涙を無駄にしたくないというか
あれだけの出来事があったのに何も変わらないなんてことはしたくなくて
少しでも少しでも世の中が良いほうに
1ミリでも良いほうに近づけばよいなと思っている。


誰かの笑顔のためだったり
世の中をよくしたいと思ったり
今を無駄にしたくないって想いや
精一杯生きようって思って

アクションを起こしたり、挑戦したり。


その中で、もがいたり、笑ったり、
誰かに支えてもらったり、助けてもらったり
心が動くような体験をする中で
「生きている実感」を得たりして。



私自身も、この4年間で
震災の風化防止・復興・防災などにまつわる活動や
地域活性活動やイベント運営
教育支援・きっかけ作りなど
県内外で様々な活動に携わりました。


震災以降は、色々な場面で
「生きていること」を実感するような
心が動くような出来事がたくさんありました。


そして色々な活動を通して
本当にたくさんの人に出会いました。

全国に友達や仲間が出来ました。


震災がなければ出会えなかったけど

出会えてよかったと思える人たちが
たくさんいます。


それに震災がなければきっと
四国で気仙沼の事を語れる友達なんて
ほとんどいなかったと思う。



4年目がきて
確実に風化は進んでいるし
復興が進まなくてストレスが続いてたり
復興疲れがでてきたり
忘れがちになってしまったり

色々あるけれども


それだけの時がたって
人それぞれに色々なことがあるのだから
風化が進んでいくことや
忘れがちになることに
罪悪感を感じる必要もなくて


個人的には、まずは「今を大切に」しながら
「精一杯生きる」ことが出来たらよいのかななんて思います。


そしてあの時感じた無力感だとか後悔とかを
少しでもなくせるように
少しでも教訓をいかしながら
今できることをしていけたらと思います。




3.11から4年。
亡くなられた方のご冥福と被災地の復興を願います。


2015年2月19日木曜日

1日を、人生を、デザインする



昨日からGReeeeNの新曲「OHA☆YOU」の配信が始まりました。


爽やかなGReeeeNの歌声が心地よくリピートして聴いています。


そして歌詞もGReeeeNらしくて、とても好きです。


いそがしい
まいにちでも生きている 
すてきにしよう



この「すてきにしよう」という姿勢が好きなんです。


自分で素敵にする。
自分で描いていく。
そういう姿勢にとても共感。



わたし自身、よいことがあったとき
嬉しいことがあったときに

そのまま心地よい気持ちのまま過ごせるように
「いい日にしよう」と心がけて過ごしてみることがあります。


時間に余裕をもって行動してみたり
さぼりがちな家事をしてみたり
自分が少しでも胸を張れるような
過ごし方。


そうして良い一日だったって言えるような
「理由」を増やしていく。



毎日そういう風に頑張れないから
でも気が向いた時にはそういう風にして
「ステキな1日」を演出してみる。



計画をたてたり実行したりすることは苦手だけども
自分をデザインする、一日をデザインするって思うと
なんだか、わくわくする。



自分の行動次第で見える景色が変わるし
自分の受け取り方次第で、
同じ出来事でも、良いか悪いか変わってくる。


自分次第で変わることがある。




さあ 今日もっと楽しく生きていこう  
さあ 今日はもっと笑顔とアリガトウ 
 今日の1日未来へ歩いて  
明るい明日を僕らで迎えにいこう




「楽しく生きること」「楽しそうに生きること」

これも私の人生のテーマのひとつ。

そうすることで、自分も幸せだし
楽しそうに生きている姿をみることで
自分より年下の子が未来に希望もてるのかなって思ったり。


単純でポジティブなので
「幸せだなぁー」ってつぶやいてみるだけで
幸せって思いこんで幸せなとこ探すようになるし
「わくわくする」「楽しい」「嬉しい」と言ってみるだけで
わくわくするポイントを見つけるようになるんだけどね。笑


でも思い込みでもいいと思う。
それで結果的に楽しく過ごせるなら。
幸せに気付けたり、
少し胸張れる自分になれるなら。


今日の僕はいつもと違う 
なぜか少し輝いている 
そんな風に自分信じて
そろそろ出掛けよう


OHA☆YOUの歌詞でもあるように信じてみる。
そうすることで少し勇気が出たり
行動が変わったり、何かに気付けたりするかもしれない。



そうやって自分信じて
少し勇気出して
ステキな1日を積み重ねて、
ステキな人生にしていきたい。


そうやって

「生れてきて良かったな」「幸せだな」
「この人生でよかったな」って言えるような
大好きな人たちに「おかげさまで」って言えるような
そんな理由を一つでも多く作りながら
生きていきたいなー。


わくわくする1日を。
わくわくする人生を。
過去の自分の想像を越えながら。


自分の1日をデザインする。

自分の人生をデザインする。







OHA☆YOUの歌詞はコチラから

2014年10月1日水曜日

映画「うまれる」をみて



先日、映画「うまれる」を見ました。


この映画は、HPの言葉を借りると
『うまれる』は、妊娠・出産・育児をモチーフにして、命の大切さや家族の絆、人との繋がり、自分自身の原点、そして生きることを感じていただくドキュメンタリー映画
です。


この映画の冒頭は、何人かの子供にインタビューした
生れる前の記憶の話から始まります。


そのときに、空の上から選んだんだよ、
おかあさんをずっとみていたよ、
楽しそうだから選んだんだ、
お母さんを笑顔にしたくて来たんだ


そのような言葉を何人かの子が言っていました。


それが本当の記憶であれ、どうであれ、
素敵だなって思いました。


この映画を見て、あらためて
アナタに逢うため、この瞬間(とき)に生まれた
そんな言葉を噛みしめました。

この言葉は私が好きなGReeeeNの恋文~ラブレター~の歌詞です。


母であったり、恩師であったり、友達や仲間であったり
大好きなGReeeeNであったり

わたしは、この人たちに逢うために、
今、ココで生きている気がします。


自分は、人生でもっとも重要なのは人との出逢いかなと思っています。

すごく人見知りだったし、内にこもりがちな性格だったけど

人との出会いって、色んな偶然が重なっていて
出逢うタイミングによって仲の良さや関係性がかわってくることも多くて
だからこそ、人生において「出逢えてよかった」と思える人が1人でもいたら
この人生に生まれてよかったと思える気がするのです。


わたしは、そう思えます。


お母さんのもとで生まれなければ
きっと価値観も違って好きになるものも違って
物の感じ方も違って
そうすると色んな人との関係性も違ってきて。


決して良い想い出ばかりではないし
親ともよくぶつかるし、自分は良い子供ではないけれども

自分は自分に生まれて
お母さんの子供に生まれて
幸せだなぁと思います。



そう想わさせてくれるのは
やっぱり大好きな人たちの存在が大きくて。

そんな大好きな人たちに出会えた人生が
幸せじゃないわけないと思うんです。


心から“ふるふるふる”と
キラキラしたものが溢れてくるような感覚だったり
心がほくほく温まる感覚だったり
そんな感動を実感できて幸せだなーって。


わくわくしたり、夢中になったり

会いたい人がいたり
会いたいと言ってくれる人がいたり

人の温かさにも触れたり
ご縁というものを感じたり

生きているって素晴らしい。笑


今、ココに、生まれてきて良かった。
今、ココに、生きていて良かった。


自分は自分に生まれて幸せです。



いつか自分も子供を産むときがくるのかな。
もうあと数か月で23歳になるので、そんな遠くない未来だよね。
10年なんてあっという間。

私はどう乗り越えるのかな。

どんな人とどんな家庭を築くのかな。

10年後も同じように、
「自分に生まれて幸せだ」って言っているのかな?


いつまでも今が最高だって言いたいし
今までのことを「意味があった」と言いたい。


きっと大丈夫って信じています。